Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

12.

結果から言えば、私が探していたものはみつからなかった。
 それが本当になかったのか、こちらのコンディションが終始低空飛行だったせいで気が付くことができなかったのかは、なんとも微妙なところではある。ただ私としてはもう済んだことなので、どちらであっても別に構わないという気がしている。
私が経験した限りでは、学部学生にとってはやはりカリキュラム優先となってしまい、与えられる枠組みに対して素直な学生であればあるほど(つまり、一般に言う優秀な学生という意味だが)、個人的な思索や根本的な問題意識に目を向けるための余地や空白をもてていないようには感じる。
そして先生方の多くが本当は気付いているのだけれど、公の場ではそれを態度に表さず、表立って現状に疑問を呈するような振る舞いはマナーとして控えているのではないか、という印象を受ける。
 それはすでに興味の対象がはっきりと絞られていて、その分野を存分に研究できる環境が整っている人々にはよいのだろう。しかし科学とは何か、学問とは何か、そして人間が学ぶとはどういうことなのか?という個々の分野以前の問題からスタートを切りたかった私にとっては、ひどく遠回しに門を閉じられたような失望があったことは、勝手とは思いつつ否定できない。
ただ、長い大学生活で私はたくさんの人に出会った。だから大きな仕組みとしての大学そのものに思うことはあっても、その中で生き生きと研究を楽しんでいる人たち一人一人のことを思い浮かべると、あまり文句を言う気持ちになり切れないのも事実である。
 
何が正しいかは、その人が置かれた状況によって様々だ。ならば、他の人がどう振る舞うかはその人の問題として、私だけは私が正しいと思うことをすればよい。現状皆が当たり前にやっていることで間違っていると感じることがあるならば、誰に文句を言うより前に、私ひとりがそれを止めればよいだけの話だ。
大学に入学した一年目、ひと息ついて頭を整理する間もなく流されるままに毎週多くの授業を受講せざるを得なかった私は、だからこそますます頑なになって、自発的な興味以外の勉学への動機を頭から追い出そうとした。
何年も経ってから、その場を離れるべきだったとひどく後悔した。大学に入ってもあまり変わったように思えなかった周囲の雰囲気に意地になっていた面も、大いにあった。
一回生の自分に何かアドバイスができるとすれば「半年でいいから、休学して学校の勉強は一切止めなさい」と勧める。何かに夢中になろうと努力してなれる人間はいない。ちょうど眠ろうと努めればますます眠れなくなり、それを忘れてはじめて自然と眠気を感じられるように。
興味は育つのに時間がかかる。そのくせ芽を摘むのは簡単だ。
ひとつは義務化して押し付けること。それと内から湧いて出る問題意識を待たずに、答えだけを次々に放り込んで溺れさせればよい。
本気の学びは、疑問に思えるようになるまでの長い時間を待たなければ、決して生まれてくるものではない。人の興味や意欲じたいは、そもそも社会の外にあるものなのだから。
自分に強制するという下手を打って失った意欲を回復するには、一度その環境を離れ、リラックスして余分な目的意識を忘れるのが一番良いと思う。
 
私自身の興味について言えば、どの分野がどうというよりは、表面的な論理だけでは結びつかないような別々のことがらがどのように繋がるのかを俯瞰できたとき、何とも言えない広がりと喜びを感じる。
私にとってその端的な結節点がこのからだであり、そのことを教えてくれたのが、武術を通じて人間を知ろうとしている先達たちである。。
高校一年生の頃に読んだ本で、きわめて大きな影響を受けた本がもうひとつある。生物学者の池田清彦氏の手になる「分類という思想」だ。この本だったか、氏の別の著書だかに、おおよそこんな文言があった。
 
――このような本を読んでしまったせいで、まっとうな学者になりそこねる若者がいたとしても、筆者は責任を取れません――
 
氏の研究室に押しかけて文句を言ってもよいかもしれないが、その代わりに礼のひとつも言うべきだろうか。そもそも分類が人間の認識を基準にした恣意的な行為であることを丁寧に説明した本書は、十代の無垢な私に初めて、私たちが認知できるどのような事実も人間の認識というフィルターを通っているのだ!という衝撃を与えた。
思えばこのときから私は「当たり前のうしろにあるもの」について考えることの味を占めたのかもしれない。
 
大学にいた最後の年、一時私の指導教官でもあった学長と、小説家の坂口恭平氏のトークイベントがあった。次々と興味深い話題が展開し盛り上がったイベントの後、数名の教授陣や学生も参加した打ち上げで抱いた印象を覚えている。
「なんだ、みんな本当はわかっているんじゃないか。どうしてそれを普段から出してくれなかったのだろう?」

 私の隣で先生方と談笑していた坂口氏が、こちらを向いてほら、と言った。
「こうやって外から行けば、みんなちゃんと話してくれるんだよ。人間なんだから」

(了)