Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

12.

結果から言えば、私が探していたものはみつからなかった。 それが本当になかったのか、こちらのコンディションが終始低空飛行だったせいで気が付くことができなかったのかは、なんとも微妙なところではある。ただ私としてはもう済んだことなので、どちらであ…

11.先送り

私の恩人の一人に、数学者の森田真生氏がいる。 数学者の岡清が描いた世界に魅せられ、大学等の研究機関には所属せず独自の研究をされている。数学の研究成果を専門家だけでなく一般の人にも楽しんでもらえる場を作ろうと、数学の演奏会と題した講演を各地で…

10.逆向きの納得

さて、勉強が比較的多くの人にとってテストという競技のためのツールでしかないというのなら、それはそれでいい。学ぶことそのものが好きな人は勝手に楽しみ、試験で得られる肩書が必要な人はそれを手に、自分にとって大切なことに役立てればよいのだ。 ただ…

9.社会の外側を忘れたシステム

ただ結局のところ、そのような話はすべて外側の環境の問題でしかない。私にとって重要なのは、私が何を感じどのように学べるか、という一点しかないことも事実だった。私にコントロールでき得るのは、自身の側の振る舞いでしかないのだ。 だから私は、大学受…

8.本気で探れば楽しいのが当たり前

歩き方を変えることに取り組み始めた高校二年の夏から、私はみずからの動きが日々変わっていくおもしろさに夢中であり、日常のどんな動きからでもヒントを得るため、いつも身体の感覚を探ろうと試みていた。このような心理状態のときに、嫌だけれど上達のた…

7.学校の勉強

私の大学受験には長い時間がかかった。 普通なら目当ての大学に合格すれば終わりと言えるのだろうが、私が受験生のときに頭を悩ませた問題は、どう考えても個人の生き生きとした学びを邪魔しているとしか思えない受験システムと、それを否定しながらもきっぱ…

6.積み上げるより、足元を疑う

流儀や型を作った先人たちは実際の戦いの経験、もしくは身に迫った必要性からそれらを想像し工夫や研究を重ねることで法則性を見つけ出していった。そこで作られた体系・原理とは、生き残るために「考えられる限りこうせざるを得ない」という必然性に満ちた…

5.社会の内側化した技術

ここで少し武術の話に戻りたい。 武術とは、過去の人々にとっては文字通り命が懸かった、それこそ社会の外に独り放り出されて生き延びるためのギリギリの技術であった。もしくは戦場において相手を確実に殺傷するということだが、やはりここでも社会的規範は…

4.社会の外にある世界

私は大学では動物学を専攻していた。本気でその道に進んだ友人たちと比べれば遊びのようなものではあったが、卒業研究では野猿公苑のニホンザルを対象に観察を行った。 動物の群れには当然彼らなりのルールがあり、個体同士の間には親族や順位、仲の良し悪し…

3.ものさしそのものが変わるということ

新しく練習し始めた体の使い方は、それまでしっかりした良い動きの条件だと思っていた要素を、むしろ次々に否定していくものだった。腰や肩を回すなどして反動を付けることで勢いを得、接触する瞬間に筋肉に力を入れて相手にぶつける。 そんな当たり前に良し…

2.手探りの稽古

どうやれば出来るかわからないものを、ああでもないこうでもないと工夫するのは楽しいものだ。もちろん、そこには自発的な興味にもとづく探求であるという条件が付く。たとえどんなに好きなことであっても、強制されたり押し付けがましさを感じた途端に嫌気…

1.「古武術」との出会い

地元の道場で寸止め主体の糸東流空手を習っていた私が日本のより古い武術の世界に興味をもつきっかけになったのは、武術研究者の甲野善紀師の書籍を目にしたことだった。 高校二年生の夏休み初日、私は学校の図書館で武道や格闘技の本を探していた。当時は空…