Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

1.「古武術」との出会い

 地元の道場で寸止め主体の糸東流空手を習っていた私が日本のより古い武術の世界に興味をもつきっかけになったのは、武術研究者の甲野善紀師の書籍を目にしたことだった。

 高校二年生の夏休み初日、私は学校の図書館で武道や格闘技の本を探していた。当時は空手の稽古を毎週楽しみにしており、前後の空き時間に師匠から居合の手ほどきを受け始めたのもこの頃だったはずである。
 そこで何か面白い本でもないものかと軽い気持ちで借りたものの中に、甲野師の本が二冊あった。
 そこに何が書かれていたか、大して覚えているわけではない。技術的な解説はほとんど理解できなかったはずだし、一読して雷に撃たれたような衝撃を受けたというわけでもない。
 ただ、後になってわかるのは、変化したと自覚する間もなく私はもう違う世界の中にいたということだ。あまりにも重大な変化は、それと気付いた時にはもう静かに完了しているものなのだと、後に振り返って知った。
 とにかく、その本を読んだ私は、師匠にそのことを話した。すると次の週だったか、彼は紙袋にいっぱいの書籍やらDVDやらを貸してくれた。実は師匠もよく知っていたのだった。ちなみに、そのときに借りた黒田鉄山師のDVDからも、私はどれだけ影響を受けているかわからない。
 このときから私が取り組み始めた武術の技は、それまで練習していた空手とはまったく違う考え方にもとづくものだった。だからこそ、それを学ぼうとする過程で、私は自分のものの観方や常識、気付かないうちに基準にしていた価値観などをひとつひとつ手に取って検討しなおすという体験をすることになった。
 
このとき初めて知ったこれらの技の特徴を大まかにまとめれば、普通なら力比べになって互いに動けなくなるような体勢から、体の使い方を変えることで、相手の力の強さを無視して一気に押し込んだり、持ち上げたりするというものだ。
たとえば、相手と互いに片手を出して前腕同士を触れ合わせた状態から、こちらの体を一気に沈めることで相手の体勢を崩す。もちろん相手には全力で耐えてもらうので、体ごと思い切り押そうがのしかかろうが、普通にやったのでは一、二歩よろめかせるのが関の山だ。
だがここで想定している「技ができた」状態とは、相手がほぼ完全にしゃがみこむか、腰や膝まで動かされて体勢を崩すくらいの効き方を指している。
他にも、拳を下に向けたこちらの片腕の前腕を相手に両手でしっかりと持ってもらい、これを真下に崩す動き。こちらは自分の腕が拘束を脱することが一応の目標なのだが、うまくいけば相手の体も巻き込まれて崩れることが多い。 
動画などを見ればわかるかと思うが、当時の私の常識的な感覚からすればこのような現象は起こらないはずのものだった。普通に考えれば動かないはずの腕が動く。倒されるはずのない状態から倒される。
ただ幸いなことに私の師匠はそのような技をいくらかやって見せてくれることができたし、興味津々で参加した甲野師の講習会でも実際に何度か技を受けたり、質問をしたりすることができた。

 さて、なるほどそういう現象があることはわかったが、困るのはここからである。今度は自分でその技をやってみたいわけだが、どうやればそうなるのか?がわからない。
 それから二、三年は本当に手探りでひとつひとつ、稽古を進めていった。初めの一年間は毎日ほとんど歩き方のことばかり考えていたように思う。それまでの空手の稽古で膝の抜きという動作の存在だけ知っていた私は、この頃に目にした書籍で初めてそれが古い武術における基本的な動作なのだと知った。
 膝の抜きとはたとえて言えば「膝カックン」を自分ですると言えばよいだろうか。膝の支えをわざと瞬間的に外すことで、体が落下する勢いを様々な動きに利用するものだ。ただこれ以前には動作の存在は知っていても、その意味や利用法などは理解していなかった。
 その頃触れた本やDVDには様々な技が解説とともに紹介されていたが、自力で見えないうちはどれだけ丁寧に説明してもらっても理解はできないものである。ただ、わからないなりに何冊かの書籍に目を通した結果「どうやらこれは、膝を抜いて自分の体重が落下する重さを使えるようにならなければ、どの技もできないのだな」ということだけは、おぼろげながら理解できた。
 そこから推測して、これらの不可思議な古武術の技を(当時はそういう風に見えたのである)使いこなせるためには、いつでもどこでも瞬時に膝の抜きができなければならないのだと考えた。
 また、歩き方がとても重要であるらしいことも読み取れた。それも驚いたことに、日本の古い武術においては、そもそも普段の歩き方からして異なるというのだ。
その歩き方とは、腕を振らず、体幹を捻らず、地面を蹴る反動に頼らずに歩くのだという。これだけ聞けば謎かけのように聞こえなくもないが、ではどうするのかと言えば、自らの体重が前に倒れる勢いを用いるらしい。後に理解したことだが、着物が着崩れしないように歩くと、自然とこの要素が含まれた動き方になる。
 倒れると言えば、前述の膝の抜きとはつまり前ぶれなく自身の体重を落下させることで、立っているだけで誰もが持っている位置エネルギーを利用するという技術だった。
これで一応、話は繋がる。
 ここまでくれば、最初の目標はほぼ決まりである。いつでもどこでも息をするように膝が抜ける、つまり普通に歩くときの一歩一歩がすべて膝の抜きになっていればよいのだ。それを目標に、まずは歩き方を工夫してみよう。
 これが私にとっての、未知の武術の世界へのはじめの一歩だった。