Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

空白の大きさは

 言葉には表面と裏面がある。表面はその意味によって示されること。共有されるもの。公(おおやけ)としての言葉。言葉は重ねることによってそれを指し示す。積み重なれば隙間が生まれ、そこに「ある」ものによって「ない」ことがあぶり出される。これが言葉の裏側だ。
 言葉の表側を使うのは、私からあなたへの公式の伝達だ。その隣にはいつももう一つのメッセージがあり、それは隠されているわけではない。
 語られたこと、理解したことに人はかならずしも動かされない。それらは明らかであるがゆえに完結し、静止している。人は読み取ったこと、明らかでないこと、見ようとすることによって駆り立てられる。運動とはいまだ完成していない状態のことだからだ。

 もしも文学に伝えるべき意図や目的があるならば、物語ではなくその思想を述べれば足りたはずだった。人は語られることの存在によってその後ろに落ちる陰の気配を聞かざるを得ないからこそ、この体のまま生きていられるのではないか。

 年毎に咲くや吉野の山桜 木を割りてみよ花のありかは