Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

5.社会の内側化した技術

ここで少し武術の話に戻りたい。
武術とは、過去の人々にとっては文字通り命が懸かった、それこそ社会の外に独り放り出されて生き延びるためのギリギリの技術であった。もしくは戦場において相手を確実に殺傷するということだが、やはりここでも社会的規範は通用しない。
だから「どれだけ入念に準備をしても、それらが通用しない未知のできごとが起こるかもしれない」という想定のもと、その時代・環境における人智のすべてを賭けて蓄積されてきた技や知恵が投入されている技術体系のはずである。
ただその武術においても、伝えられるマニュアルや知識そのものは、定義上社会の内側に属するものである。つまり実践と個々の経験だけがある世界ではなく、必ずしも実際の体験を伴わなくても、その「やり方」を人づてに教わるということが可能だ。だからこそ生き残るための知恵を安全に身に付けられるし、今の平和な日本で生活していて武術を学ぶこともできるわけだ。
私たちは本来ならば個人のみに属する経験というものを、言葉や行為を通じて他者に伝え共有することができる。個の体験という人為的なルールの外側で生じたできごとを、言葉などの記号に還元して他者に伝えるという行為によって、社会の内側に落とし込むことが可能なのである。
 
 私は幼い頃から空手道場に通っていたので、高校生の頃にはすでに10年ほどの経験があった。子供の頃から少しずつ習って身に付けたことというのは、意外なほどよく定着しているものだ。
 種々の基本動作や型の手順、動き方、気を付けるポイントなどは当然把握していたし、小中学生の後輩たちに指導をする機会もそれなりにあった。たとえば型においてはひとつひとつの動作を終えたところは次の構えになっていて、そのときの手の高さと角度、腰の落とし具合、足の角度や膝の位置など、注意すべき点はたくさんある。
 空手の型は一人で決められた動作を繰り返し稽古するものだが、突きなら突きだけを左右交互に繰り返すいわゆる基本動作とは違い、異なった技のバリエーションが組み合わされ、初めの位置から前後左右斜めなどに動きつつ行う。
 実は日本の武術全体で見れば二人一組で行う型の方が一般的であり、剣や槍、柔術などはほぼそのような稽古方法となっている。これら古流の型における動きも現在の常識的な運動観からは不合理に見えるものが多いが、率直に言って空手の型の不可解さはそれらの比ではない。
 なにせ誰もいない空中に向かって突き・受け・蹴り・肘打ちなどを次々に繰り出し、さらにその途中でいくつもの構えが登場し、仮想敵との距離感や位置関係が目まぐるしく変わる。しかも型には必ず数度の方向転換や唐突に真後ろを振り返っての受け技などが登場し、ときには前後から別々に攻撃してくる二人の攻撃を両腕で同時にガードしなければならない。
 実際に相手と向き合い、より自由な攻防が行われる組手では、型にあるような大きな構えや動きを使うことはまずない。ではなぜ型にはそのような不可解な技が多く含まれ、しかも空手の大切な教えとして伝わっているのだろうか。ルールのない実際の戦いであれば有効であるということなのだろうか。
 実のところ、それはよくわからないのだが型はそういうものだ、というのが大方の空手修行者や指導者の共通認識になっている。これは私たちもそうだった。
 
 空手に限らず、多くの武道では型を上手に演じられることが昇級や昇段の重要な(ときには第一の)条件となっている。そして当時の私と同じような認識を型に対して抱いている武道関係者は決して少なくないだろう。
 ではそれらの武道における試験や大会において、どのように有効なのかが判然としない型の上手下手を、なぜ判断することができるのだろうか。
 空手に限って言えば、動きの力強さやスピードの有無、突き蹴りの高さや構えの姿勢が定められた形に正確に沿っているかどうか。それから一本調子ではなく適切に緩急が付いていること、キレや総合的な迫力があるか、などが評価の基準となる。
 身もふたもないことを言えば、力強くて見栄えのする動きが上手な型なのである。ただ演技ではないので、そこに「流派の伝統的な基準に沿った」という但し書きは付く。
 あまりこの話に深入りする気もないのだが、この話題の例としてはこの説明でおおよそ足りるかと思う(空手の型そのものに関して興味がある方は、ぜひ私の沖縄(古流)空手の師である新垣清師のブログや書籍を参考にしていただきたい)。
 つまりこの場合の型を評価する人物は、目の前で演じられている動きが敵に対してどう有効か、ということを逐一考えながら見守っているのではない。そのかわりにあらかじめ頭の中にある「わが流派の型として良いとされている動作のチェックポイント」に照らして、どれだけ一致するかを基準に点数を付けたりアドバイスをしたりしているのだ。
 これが先に述べた、技芸が人為的な規範の世界、つまり社会の内側(のみ)に見事に着地を果たしたひとつの例である。