Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

6.積み上げるより、足元を疑う

流儀や型を作った先人たちは実際の戦いの経験、もしくは身に迫った必要性からそれらを想像し工夫や研究を重ねることで法則性を見つけ出していった。そこで作られた体系・原理とは、生き残るために「考えられる限りこうせざるを得ない」という必然性に満ちたものであったろう。当然、修行の進展や新たな発見があればそこには変更が加えられたはずである。
しかし今の時代にそれらを学ぶ私たちに、それほどまでの要求があるわけではない。実践の場を離れて、ただそのような場面を仮に想定してやり方を学ぶ、ということができる変わった動物である私たちは、その技術を用いて未知のできごとと対峙する必然性が薄れるにしたがって、学ぶことそのものが目的になっていくようだ。
ある場面において「こうせざるを得ない」というギリギリの知恵であった方法論はやがて「こうしなければならない」という規範に変わり、さらにそれらが高度な社会性を帯びるにしたがって、その学んだ正しさを基準にみずからの経験を評価する、という逆転現象が起きる。
ただのできごと・経験の世界から、価値判断・評価の世界へと、技術の拠り所が移ったのである。
これはその価値観を、生のできごとの側から絶えず検証し続けられる環境にいる間は、あまり問題にならないのかもしれない。しかし世代を経るに従い、自らの経験からやり方や技術を構築した経験のない人々ばかりになると話は違ってくる。
そのような人々の多く(たとえば私のように)は教わったことをなんとなく正しそうな基準として経験を分析し、世界観を構築するからである。
つまりそうとは気付かないうちに、もともとは社会の外側と向き合うための足場としての技術や知識であったものが、人間が作った価値観の内側を世界だと見なさせる囲いへと変貌したとも言えそうだ。
 
 少し前に、古い型には不合理に見える動作が多いと述べた。それは現代の常識的な運動観からすれば、どう考えても役に立ちそうにはない動きも多いという意味なのだが、それは判断をする側の私たちの問題である場合が非常に多い(ただ、中には伝わる過程で本来の形を損なってしまい、本当ににっちもさっちもいかない型というのも、ないわけではないようだ)。
 型を作り、そこに流派の根幹となる知恵を込めた当時の人々の身体観、運動観に近付くことができれば、実は見えてくるものもある。私が甲野師の書籍と出会ってそれまでならあり得ないと思うような状況で人を持ち上げたり、押し込んだりする技術の存在を知ったことを述べた。
もしそのような体の使い方が当たり前であった人々がいたとすれば、その人々にとっての戦いで有効な動きの定義はずいぶんと違ったものであったろうと想像するのは、さほど難しくはない。
 しかし仮にそういう理解で良いのだとすれば、運動に対して往時とは異なる価値観を持っている私たちこそ、型にはもっと積極的に疑問を抱き、検証しようという気持ちが起こってもよさそうなものではないか。
 今の時代、疑問さえ抱けば、情報を集めることはそこまで難しいわけではない。往時の動きを伝え、または積極的に研究されている方々もおられる。だが、それまでの私はなぜか基本や型の動作に疑問を感じたり、検証をしてみようという気持ちにはならなかった。
 もちろん、そこにはそれ相応の有効性と実感があったからでもある。私がそれまで持っていた運動観や身体感覚に照らせば、それぞれの動きにスピードと力が乗っている感触があり、効率の良い動きなのだろうと思っていた。
 しかし根本的な原因は、おそらく先に述べたとおりだ。それは私が空手の練習からなんとなく学んだ「戦いのときはこうするらしい」という知識から、ならば実際の闘争はこのようなものだろうか、という順序でイメージを抱いていたということだ。本来の順番であればこの逆で「実際の闘争の場面から考えれば、ここで教わっている想定は本当に正しいのだろうか?」と問わなければならない。
 もちろん、この場合も私には想像することしかできない。あとは先人の知恵を借りるのみである。
しかし矛盾に聞こえるかもしれないが、ただ無批判に教わった正しさを追うことを止め、誰に代わってもらうこともできない自分ごととして問いかけることを始めたときにこそ、受け渡されてきた他者の知恵は本来の威力を発揮するように思う。
実際に後ろ盾なく生のできごとを経験することの難しい環境においては、学んだマニュアルを自ら疑い検証するという行為が、疑似的に社会の外側に焦点を当てる練習になりうる。それが良くできた体系であれば、深く疑い掘り下げるほどに、先人がそこに込めた深い知恵に気が付くことだろう。