Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

4月12日

 カプチーノがうまい。
 エディンバラの墓地では桜が少しだけ咲いていた。青空は見えない。雨だったのだがそのときは止んでいた。
 日本の雨よりはもっと気まぐれが激しい。いっとき強く降り注いだと思えば、すまし顔で元の曇り空に戻ってしまったり、一日中続く雨の中でほんの一瞬、晴天が覗いたりする。

 エディンバラの街は冷え冷えとしていた。凍てつくほどのことはもうないのだろうが、それでも朝に歩きながら吐く息は白い。気付けばもう4月も中盤に差し掛かる。
 石造りの教会は広い庭の奥に佇んで、主というよりは風景の一部に溶け込んでいる。まばらな人影は観光客だろうか。低い石積みの壁に沿って歩きながら、苔むした墓石を指して何事か話している親子連れ。こちらに目を転じれば、露に濡れたままのあまり見事とも言えない桜の花にカメラを近づける女性。
 墓地は暗いけれど陰鬱な場所ではない。
 この国で、いや、この連合王国に属するこれらの国々を訪れたなら、古ぼけた教会やその名残の土地で、必ず多くの死者の名が刻まれた石碑を目にすることになる。
 石の時間を私たちが知ることはない。街の曲がり角で、芝と枯草が覆う丘の上で、彼らは人間たちが決して見ることのないときの流れを黙したまま見つめ、独り立ち続ける。
 死者たちを私は知らぬ。この石に刻まれた名を呼んだ声の、閉じられた目の、今はただの記号となった文字たちを刻んだ手の、どれひとつとして私は知らない。

 100年前も200年前も、私にとっては等しく昔でしかない。思い出すことのできない昔。ここに眠る人々にとっては、それぞれに今だった。
 囲われた庭を出ればそこはまた私たちの時間だった。写真を撮る団体の旅行者たち。坂を下りれば立ち並ぶカフェとパブ、土産物屋。
 私の分厚い上着のポケットにはカメラが入っている。