Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

雲と風の日々

 携帯電話にキャリアからのメッセージが届いた。前回トップアップしてからもう一月経つらしい。先週同じお知らせ(来週で期限がきますよ)を受けたときにはまだ数日あるなと思っていたのだが、その数日はもうどこかへ行ってしまったらしい。もう少しゆっくりしていけばいいのに。

 携帯のお知らせがきたということは、スコットランドに戻ってからもうそれだけ経つということだ。この調子で二月、三月と過ぎてゆき、あれあれと言っている間に一年である。もちろん知っている。

 生活拠点をあちこち移したことのある人には同意してもらえることかと思うが、私はもうずっとここで暮らしていたかのような気分になっている。通りは私の風景であり、この街の季節こそがわが季節の移り変わりになる。夏の間、実家の周辺でうろうろしていたときには、もちろん私は大阪や京都の土地の一部だった。ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎるともうずっとそこにいても良いような気分になった。

 10時間以上のフライトはなかなかの長旅である。それも手伝っているのか、使っている言葉が違うからなのか。まるでスイッチを切り替えるように、海のあちらとこちらにいるときでは生活リズムや心地よく感じる行動の流れそのものが組み変わっているように感じる。「私の心」は環境の中に、あちらにもそちらにも散らばっていると聞いたことを思い出す。