Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

云年振りの型

 最近はときどき抜刀の稽古をしている。ずっと前に教わったきり、何を目標に稽古したものかわからずに放ったままになっていた正座の型だ。

 素手の組み技であれば、相手に影響を与えようという意思の表れが動きの妨げとなることは実感しやすい。また、先日はバックソードの地稽古でも、打とうとかコントロールしよういう目標を思い描くことがどれほど自分の動きを崩し、心身の力みを生み出しているかを改めて思い知った。

 型の手順に沿って刀を抜いていくと、この部分がとても見えやすい。体から注目がはずれ刀を自分の意図でコントロールしようとすると、あからさまに抜き付けの質が落ちる。また相手が自分の武器である分、生身の人間相手の技よりは「好き勝手に扱える対象」という錯覚を起こしやすくもあり、難しい。

 「剣と柔の間にいまひとつの武術あるべし…」などといった古人の言葉があったかと思うが、なるほどという思いだ。