Asahi's notebook

大麦小豆二升五銭

ここにもあそこにも

 どうということもない会話の断片が、妙に心に残っていることがある。何を記憶に残しておくのか選べたのなら、もっとほかに覚えておくべき会話もあったのかもしれないけれど、別段意味もない断片の寄せ集めである。


 以前ヨークのホテルで働いていたときの同僚が、戯れに自分の専門分野の優位性を争っていた。片方は歴史学か何かについて語っていて、もう一人は大学院で学んでいる地理学の重要性を主張している。彼は多国籍入り混じった同僚たちから各国の挨拶を聞き覚えていて、私も日本語の挨拶をひとつかふたつと、お決まりのカジュアルな罵り言葉をいくつか教えあったように記憶している。
 ごく気心の知れたふたりの論争が続き、地理学専攻のギタリストはやれやれ、といった様子で続けた。
「地理学はこの世のすべてだよ」まだものを知らないこどもに、とっておきの知恵を授けるがごとくである。


 のんびりと食器を磨きながら耳を傾けていた私は、この男を一端の地理屋であると認めた。無論私は、地理のチの字も知りはしない。わかるのはせいぜいがスーパーで売られているワインの、すっきりとした飲み口くらいである。
 この街は、丘は、大地は。その窓を通して、どのように見えるのだろう。